『頑張ってる』『努力している』が口癖の母がムカつく


 

突然ですが、私と母の仲は良くありません。

 

私が生まれてから24年の付き合いになりますが、ある時を境に私と母の仲は悪くなってしまいました。

これについては後々記事にしたいと思っていますが、私が高校を中途退学した時期からです。

 

それまでは好きな食べ物も考え方も似たり寄ったりでどちらかといえば母にベッタリだったのに・・・今では母の考えに同調することが出来ません。

 

『こんなに頑張っているのに』『こんなに努力した』と言う母の口癖を聞いていると、無性に腹が立って仕方がないのです。

 

母を見ていると、頑張った自分に酔いしれているのかと感じてしまう。

例えるなら、『今日は何時間しか寝てない』と忙しくて寝てないアピールをする人と同類に思えます。

 

何かするごとに『頑張った』という母。

 

手の凝った料理ではなく、普通の夜ごはんを作ることさえ『頑張った』という言葉を発します。

もちろん、家族のために美味しい夜ごはんを作ってくれるのは有り難いんですよ。

 

ですが、日常生活の中で何か一つ成し遂げる度に『頑張った』という言葉を使われると疑問に感じてしまうんです。

 

私は『頑張るぞ』『頑張った』と言っている人を見ると、なぜか興ざめしてしまいます。

 

また、私に向かって『頑張れ』と言う人を見ると、急に自信がなくなって弱気になってしまったり、プレッシャーに感じてしまうことが多々あります。

 

『頑張れ』という言葉自体は決してマイナスの意味ではなく、むしろプラスの意味なのですが、私はとても不快な言葉に思えて仕方がありません。

 

私にとっては荷が重い言葉なんでしょうね。

 

 

少し前に母とこのことで言い合いになり、話の流れで母にこう言われました。

 

あんたは結果主義で、結果が良くなかったら、今までの努力は無駄やと思うんやろうな。きっと自分の自己評価が低いやで。』と。

 

母いわく、結果が出せなくても、結果を出すためにやってきた過程は『努力した』『頑張った』と認められたいということ。

 

『自分が頑張ったことを自分で認めるのっていけないことなの??』と。

 

いやいや、自分で認めるのは自由だよ。

だけど、あえて私の前で口に出すことではないよね。

 

きっと、私にも『(母は)頑張った』と認められたいんでしょうね。

 

そういう気持ち、理解できそうで、理解できない。

 

私からすれば、母が本気で頑張っていても、それほど頑張っているようには見えないんです。

なので、母の頑張りを認めてあげることはできません。

 

母は現在進行形で『今の自分、頑張っている』と思うらしい。

そう口に出していますからね。

 

私の目から見れば、『もうこのくらいでいいだろう』という感が滲み出ている気がしてならない。

それと頑張っている自分を演じている気もしなくはない。

 

こういう印象を受けるのは、私自身が母を嫌っているせいかもしれませんがね。

 

 

本当に彼女は頑張っているのかもしれません、でも私はそう捉えることが出来ないのです。

認めたくないし、認めてあげられない。

 

自分がどんなに頑張ったかをわざわざ語る必要はない。

 

私自身、過去を振り返って『あの時は頑張ったなあ』と思う時はありますが、現在進行形で『今の自分、頑張っている』なんて思ったことは一度もない。

 

 

先ほどの母の言葉に戻りますが、私自身の自己評価が低い件について。

 

私は中学・高校は一貫校の私立学校でしたが、自己評価を低くさせるような教育を受けていた影響が私の中で濃く残っていて、自己評価が低いという点については否定できなかったですね。

 

 

逆に、私の口癖は『疲れた』。

 

何か一つするごとに『疲れた』と言ってしまう。

頭も身体も使っていないけど、疲れたように感じて疲れたと言ってしまいます。

 

もしかすると、母の『頑張った』は私でいう『疲れた』と同じ意味なのかもしれません。

 

きっと、母は私が『疲れた』という度に、私と同じ思いをしているんでしょうね。

 

本人には言えないのでここで謝っておきます。

不快にさせてごめんなさい。

 

では、ばいなら。


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