浪人生活ほど生きてる感覚がなかった時はない


 

ふいに思い立ったので、私が浪人生活を送っていた頃の話をしたいと思います。

 

先に忠告しておきますが、浪人生活の過ごし方についてのアドバイス的な記事ではありません。

私の過去の反省記事になっていますので、反面教師にしていただければ幸いです。

 

私は高校卒業後に、1年間予備校に通うという、いわゆる浪人生活を送っていた時期がありました。

 

浪人生活ということは、もちろん、志望した大学に行けなかったからです。

 

私はセンター試験に大失敗して、第一志望の公立大学を諦めざるを得ず、滑り止めの私立大学の一般入試を受けるものの、どこも受からずに浪人が決定しました。

 

浪人生活を送る羽目になったのは、もはや必然です。

少なからず、予感はしていました。

 

なぜなら、高校3年生になった時点で、大学受験への意欲がほとんどなくなっていたからです。

 

私の場合、少し珍しいかもしれませんが、高校3年生の6月に通っている高校を退学しました

中途退学(中退)というやつです。

退学に至った理由はまた後の記事で書きたいと思いますが、この記事の内容とあまり関係ないです。

 

そして、7月に通信制の私立高校に編入しました。

退学した高校は進学校だったので、高校2年生の時点で高校3年生分の単位がほとんど取れていたので、少ない単位を取るために数回学校に通って、同学年の子達と同時に無事に卒業することが出来ました。

 

通信制の高校に通いながら、当然、予備校にも通っていたのですが、入試本番まで受験へのモチベーションを保つことが出来ませんでした。

当時の私の心境が今の私にはうろ覚えでわからないのですが、おそらく、一刻も早く高校を辞めることしか考えていなかったんだと察します

 

先に書いた通り、高校3年生になった時点で、大学受験に対する意欲がなくなって、勉強する気力が失せていました。

 

それでも高校3年生になる前までは、必死になって受験勉強をしていました。

 

通っていた学校は課題の量がとても多い進学校で有名で、毎日出される課題にいつも追われていました。

 

私は自分でいうのも恥ずかしいですが、クラスの中でも成績が良い方で、英語に関しては高校1年生の時からテストの点数はいつもトップでした。

 

ただ、成績には波があって、トップから最下位になったりすることがとても多かったです。

それと、得意な教科と苦手な教科との成績の差がすごかったです。

 

高校2年生の時の最後の模試では、どの教科の偏差値も10以上下がっていて、担任の先生とクラス主任の先生との面談の際には泣いてしまいました。

 

この頃の私は、自分のキャパを超えるくらい勉強していた(当時はそう思っていた)にもかかわらず、成績が落ちてしまったことにひどくショックを受けました。

 

これ以上は勉強できない・・・。

もう頑張れない・・・。

 

心が折れた瞬間でした。

今思えば、『何をこのくらいで』という気持ちになりますがね。

当時の私は娯楽を削ってまで励んだ受験勉強でメンタルがヤられて弱っていたんでしょう。

 

これをきっかけに、一気に勉強する気力を失いましたね。

一種の燃え尽き症候群だったように思います。

この状態が浪人生活の終わりまで続きました。

 

なので、現役で大学に入れなかったのは、私にとっては当たり前だったのです(これ言い訳ね)。

恥ずかしながら、勉強するふりしかしていませんでした。

 



 

そして、高校卒業後の4月から予備校に通い始めました。

 

本当は予備校に通わずに自宅で受験勉強をしたかったのですが、母が不安がり、不本意ながら予備校に通わされる羽目になりました。

 

予備校に通い始めた頃は、自分の今までの人生を振り返ってよく帰りの電車の中で寝るふりをしながら泣いていました。

 

なんで自分ばかりこうなるんだ・・・と。

 

 

私と同学年の友達は校則の厳しかった学校と勉強からやっと解放されて華やかなキャンパスライフというものを送っているというのに・・・私はまだ勉強人生なのかと。

 

 

大学受験を見越しての中学受験をしときながら、浪人生活を送るなんて・・・。

 

もう自分の運命を呪いながら、死人のように生きていましたね。

 

生き地獄とはまさにこのことでした。

 

今まで私に関わってきた人全員が楽しそうにしていることがとにかく憎らしかった。

最初の1か月間はそういう感情で取り巻かれていましたね。

 

 

さて、予備校に慣れてきて、次第にある変化が。

 

私のニキビ履歴 ~高校時代から浪人時代~を読めばお分かりいただけますが、私は中学生から続く慢性的なニキビに悩まされてきました。

 

この時の私はやる気の出ない受験勉強よりも、自分のニキビに意識が向いていたんです。

 

ニキビ>受験勉強

 

もおぉ、バカぁぁぁ。

アホの極みでした。

 

私はどうも自分の置かれた状況を理解できない人間のようです・・・。

 

この先は内容は私のニキビ履歴 ~高校時代から浪人時代~を読んでいただければわかりますので、割愛させていただきます。

 

結果的に、再びセンター試験は失敗したものの、滑り止めの私立大学には受かりましたが、私は有意義な浪人生活を送ることが出来ませんでした

終始嫌々、予備校に通っている状態だったので、予備校にいる時は早く時間が経てとしか考えていなかったです。

 

また、とても恥ずかしいことに、当時の私は親に予備校に通わせてもらうことを申し訳ないと全く思いませんでした

逆に強制的に予備校に行かされているという思いでいっぱいでしたね。

 

片親なのに、予定外の予備校代120万円の費用を私のために出してくれたというのに。

3桁(万単位)の額を貯めることの大変さをフリーターになった今ではよく理解できます。

 

私は浪人生としての自覚や意識が欠けている以前に、とても親不孝者でした。

これが浪人時代の最大の反省点。

 

せめて、親のおかげで浪人生であることが許されていたことを当時の時点で自覚出来ていたらなあと悔やまれます。

 

以上が私の浪人時代の話になりますが、為になるような要素は一つもないでしょう。

 

ああ、こういうアホな浪人生がいたなあっと漢文程度に心に留めておいてくださいな!

 

ではでは、ばいなら。

 


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