空気人間で存在価値なし、誰にも興味を持たれない好かれない人間にならない方法

内面コンプレックス

私は誰からも興味を持たれない空気人間。

今まで人から好かれたことがないし(恋人が居たとかは別として)、

むしろ周囲から浮いている存在で、

どうでも良い扱い(雑な扱い)を受けてきた。

学生の時は学校で、社会人になってからは職場でそう感じて生きてきた。

*

学生の頃はよく自分のことをドジ(死語)だと思っていた。

認めたくはなかったけど、実際にそうだった。

できるだけ周囲に“自分のやらかし(失敗)”がバレないように

緊張して過ごしてきたつもり・・・。

目立ちたくないところで悪目立ちするのが嫌だったから。

*

私は常に暇人なので、よく考えることがある。

どうして自分はこんなにダメ人間なんだろう・・・と。

決して自己肯定感が低いのではなく、事実としてダメな人間です。

ただ、社会のゴミにまで成り下がっている私でも、

もっとこう生きていれば・・・、という反省&後悔がある。

*

私に出来ることと言えば、

私のような無価値な人間を

世の中にこれ以上増やさないためにも、

このブログを通して“そうならない方法”を広めていくこと。

最底辺な私でも、

現状を変えたい・成長したいと思うから

反省や後悔が沸いてくるのだろう。

自分で言うのもおかしいが、

まだまだ生きていて良い気がしてきた・・・。

スポンサーリンク

無価値な人間にならないためにどう生きるべきか?

私がどんな風に残念な私を作り上げてしまったのか、

どうすればこのどうしようもない現状を打破できるだろうか、

と考えた時に思い浮かんだ解決策を挙げていく。

親や先生はたいして偉くないし恐れなくて良い

成長期にどんな環境で過ごしてきたかが、

心の成長や思考に大きく関わっているはず。

実際、私は周りの大人たちがあまり良くなかった。

別に荒れ果てた家庭環境で育ったわけではないが、

具体的には過去記事で少し話している(↓)

5年間過ごした中高一貫女子校を高3で中退した理由
もう10年以上前の話だが、私が中学受験して入った中高一貫の女子校を高校3年生の時に退学した時の実話。心の奥底に沈めたはずの闇がふいに浮かび上がってくる時がある。恨みつらみが多くて、感情の昇華が進まない。10代で過ごしてきた環境はその後の人生...

これが全てではないが、

そもそも親が私にあまり関心がなかったのもある。

1番驚いたのは大学生になった時点でも、

私の好きな食べ物がわからなかったこと(ちなみに私は親の好みはほぼ把握済み)。

こういう小さなわだかまりの積み重ねではあるけど、

アラサーの今でも親に対しての不満が腹の底から沸きあがってくる。

*

私が中学・高校生の時、親や先生を恐れていた。

何に恐れていたかというと、

親や先生の言うことは絶対に正しいと思い込んでいた節があった。

逆らうことは出来たが、

潜在的に親や先生の考えから逸れている私はダメな人間だと思っていた。

例えば、宿題のやり方や娯楽の禁止(中学まで雑誌や漫画を買うのがダメだった)など。

その結果、自分の学習方法で勉強が出来なくなって勉強嫌いになった。

おまけに先生まで嫌いになって高校も辞めて、

親とは不仲になった(今は表向き上手くやっているつもり)。

*

今思うのは、先生の言うことは絶対に守らなければいけないことではないし、

親も先生も大人であるにもかかわらず、

間違いを起こすことをちゃんと理解していれば良かった。

私の心の奥底に沈めている闇が出来たのはこの大人たちのせいではあるが、

私自身の考え方もいけなかったと思う。

誰にでも良く見られよう・認められようとしない

誰かの評価に依存することは必ず自分自身を見失うし、とても疲れる。

今まで生きてきてわかったのは他人の評価は意外といい加減なので、

まともに捉えない方が良いということ。

私はよく“真面目”“素直”“優しい”と言われることが多いが、

自分では一切そんな風に思ったことはない。

むしろ、他人の前では真面目なふりをしている偽善者を演じたウソつき(極端に言えば)です。

それに、上の三拍子は誰にでも使いまわせる定番のお世辞だし。

例え良い評価であっても真に受け過ぎず、

話半分で聞き流しておくほうが自分のペースを乱さずにすむ。

*

私は褒められるのがむしろ苦手なので、

その辺は空気扱いしてくれて良いのに・・・と思ってしまう時が何度もあった。

褒められて伸びる性格ではないが、

良い評価を受けた時にはその状態をキープしたいと見栄を張ってしまうのでとてもしんどくなる。

当たり前だけど、相手の期待に応える行動を取るよりも

自分の居心地の良いペースでやっていくほうが後々辛くならない。

自分の考えや気持ちをちゃんと言葉に出来るようにする

私は“なんとなく”という言葉が口癖だった。

だから“なんとなく”と感じたことを自己解釈でも良いから、

具体的に中身のある言葉にして出せるようにする。

自分の考えを口に出せれば、

相手に伝えることができるし、自分のことをより知ってもらえる。

自分の意見をちゃんと言える人は周りから大切にされている気がする。

(実際にそうでなくても)内面がしっかりしていて賢そうにも見える。

そういう人を雑に扱う人は少ないはず。

そして、主張できる人は存在感があるので、決して空気人間にはならない。

嫌なことは我慢しない、欲しいものは欲しいと主張する

これは捉え方次第で賛否両論があるかもしれない。

自分の気持ちを押し殺すことは自分自身を消す行為だと思う。

経験上、この時の気持ちの代償は“反動”となって

いずれどこかのタイミングでやってくる。

反動というのは自分の意志では抑えることができない現象のように感じる。

例えば、無理なダイエットの反動が過食であったり、

親の望む良い子を演じた結果、手の負えない不良に変わってしまったり。

自分の気持ちに無関心であることがゆえに、

不快な感情に気づいてあげられなかったり、

欲しいものや必要なことがわからなかったりもする。

ただ我儘になれという意味でなく、

自分の気持ちに気づいてあげて正直になれれば、

心を満たすことが出来て自分を否定せずに生きていける気がする。

何か一つでも熱中できるor得意分野をもつ

夢中になれることや特技を持っている人は意外と少なくて、

それか自覚していない場合が多い気がする。

そして、一つのことをずっと続けられる人はもっともっと少ないはず。

自分には“これ”がある、という人は、

“これ”さえない人よりも何十倍も強みがあるように思う。

続けていくうちに特技にもなるし、特技があることは自信にも繋がる。

特技が人の役に立つこともあるので、決して無価値な人間であるはずがない。

誰にどうみられても“自分のため”に生きる

このブログでは自己主張激しめに生きているように思われているかもしれないけど、

わりと他人の目を気にするタイプで、

最終的には自分の考えを押し通してはいるけど(汗。

自分が他人にどう見られているかを気にしていた時期ほど、

自分に自信はなかったし、

常に心が不安や心配で押しつぶされそうになっていた。

ただ、そういう時期は人生の中で少しはあったほうが良いかもしれないが、

いつまでも他人の価値観の中で生きるのは

いずれ自分の価値を消してしまうように感じる。

自分で自分のことを無価値化する行為だと思う。

他人の価値観に支配されて

自分の人生を乗っ取られてしまってはもう終わりだ。

自分のために全力で生きて欲しいです(私自身にもそう言い聞かせたい)

*

そもそも、自分を大事にできない人が他人に大事にされるわけがない。

投げやりに生きている人を相手にするほど暇ではないし、

私だってそんな人とできるだけ関わりたくない。

自虐するたびに“そんなことない”と否定してあげないといけないのか?

それではいつまでも雑に扱われる人生を送り続けるかもしれない。

過去の自分と決別して生きるために

今よりももっと前に、

もっと昔にこんな考え方が身についていれば良かった。

あの時はあの時の私なりに精一杯生きてきたと言い聞かせるしかない。

過去の自分をいつまでも否定しつづけるのもけっこう疲れることだ。

そんなことばかり考えてしまう日々を送っているけど、

確実に残りの人生がどんどん短くなっていくわけで、

いつまでも過去の後悔や反省ばかりをしているわけにはいかないので、

少しでも今の状況から前進できるように、ここに宣言する。

*

ではでは。

コメント

タイトルとURLをコピーしました