私は27年間の人生を通して、その時間の多くを圧倒的に一人で過ごしてきた。
基本的にぼっちです。
今では好んでぼっちになっているけど、ぼっちが辛かった時期もあった。
私は陰キャでコミュ障の上で“ぼっち”になっている。
陰キャであることは恥ともこれっぽっちも治そうとも思っていないけど、
コミュ障は死ぬまでには治したい気持ちはあるかな。
最初はぼっちが恥ずかしくて嫌だったけど、
ぼっちに慣れてしまった経緯やぼっちに慣れて一人行動を楽しみたい人に向けに書いていくよ!
私が敢えて“ぼっち”を選んだ理由
私は以下の理由から、ぼっちになりましたとさ。
学校の集団生活が苦痛でたまらなかった
私は小中高を通して学校が大大大大嫌いだった。
マイペースで人に合わせることが苦手なので、集団行動がとにかく無理だった。
いつも集団の中で一人だけ浮いていた。
人見知りが激しかったので、自分から友達を作ることも出来なかった。
周りを見れば、皆誰かに話したり話しかけたりしていたが、
私は自分から話しかけることもなければ、話しかけられることもなかった。
人に好かれるような雰囲気や興味を持たれる容姿じゃなかったのもあるかもしれない。
最初に席が近い子と仲良くなっているパターンが多いと思うけど、
私は今までそれを経験したことがない。
暇すぎていつも眠くないのに寝ていたし、読書が嫌いなのに本を読んでいた。
昼休みに机でうつ伏せになって寝た後はいつもゲップが上がってきて大変だった(昼食を食べた後だからかな?)
*
だけど、小学校の時はいつのまにか放課後に遊ぶような友達は出来ていた。
全然仲良くなかったはずだけど、多分流れで(笑。
基本的にはずっとぼっちでいたけど、中学の時までは休日に仲良くなった子とよく遊んでいた。
もうあまり覚えていないが、その時は気が合ったんだろうな。
*
学校生活で1番困ったのは2人一組のペアを作ること。
私はいつもペアを作れなかった子とペアになっていた。
私自身は誰とペアになっても良かったが、相手はそうではなかったらしい。
その空気感がとても苦手だった。
私と何がなんでもペアにならないように避けている子とか普通にいた(笑。
そんなに嫌なんだ(笑。
*
その他にも、遠足や修学旅行などの学校行事が嫌でたまらなかった。
いつも不安で不安で。
どうやったらこの不安や心配がなくなるのかわからなかったが、
今思えば誰かと仲良くなれば良かっただけの話で終わるとわかる。
ただそうしなかった理由は読み進んでいくうちにわかるよ。
なぜか発達障害の子に好かれた
私のことを好いてくれる子になぜか発達障害を持っている子が多かった。
特に小学校の時はある子に好かれてストーカーされたことがある。
集団下校のたびに私を見つけたら話しかけたり付きまとったり。
とにかく異常な執着でめちゃくちゃ困った。
ちなみに、女の子ね(笑。
発達障害の男の子も私に懐いてきた。
その子はすぐに消しゴムを食べてしまう子(笑。
別に周りからその子の世話を任されていたわけでもないけど、
多分、私が誰に対しても一定に接していたからだと思う。
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大学の時の唯一の友達も、おそらく発達障害。
いきなり走り出したり(衝動的)、子供みたいに足をぶらぶたさせたり(多動)、忘れ物も多かったり(注意欠陥)、身なりも子供っぽい格好だった。
大学生なのに、自身のお金の管理も母親に任せていた。
その子の母親は養護学級の先生をやっているような人だったので、おそらくわかっているはず・・・。
せっかく仲良くなってくれたんだけど、私はその子が嫌いだった。
私が給付の奨学金をもらっていることに対して、
”羨ましい~私も欲しい!どうやったらもらえるの?”と言ってきて、
世間知らず以上に馬鹿なんだと思った。それが1番の理由かな。
電車で座っているおじさんの頭に止まったハエを捕まえようとしていたのには焦ったなぁ(汗。
*
なんで自分はこんな人ばかりに好かれるんだろう。
この人達に好かれるくらいなら一人でも良いやと思った。
ちなみに、最初に出来た彼氏もおそらく発達障害者。
類友の法則で、私自身も発達障害なんじゃないかと疑った時期もあった。
実際に、今までで一人だけ“お前アスペ(アスペルガー)じゃね?”と言ってきた人がいた。
まぁ、そうかもしれないね。
“一緒に居ても楽しくない”と何度も言われた
これは仲良くなった子にわりと言われること。
そう言って離れていく子が多かった。
自分も相手も楽しい状況を作り出せなかった。
逆に、相手が楽しい時ほど大概自分が楽しくない。
それだったら、私と離れてもらった方が相手にとっても私にとっても良いよね。
無理して一緒にいるような関係を続けるべきではないと思う。
だから仲良くなれそうな人が出来た時に、
いつか自分といても楽しくないと言って離れしまうような不安があって、
その度に自分が傷つきたくないから、今後友人は作らないようにしている。
今のところ友人がいなくて寂しいと感じたことは正直一度もないから、
性に合っているんだろうなぁ・・・。
他人から見れば寂しい人に見えるかもしれないけどね。
これが誰とも仲良くならない最大の理由です。
雑な扱いをされることが多かった
昔から雑な扱いをされることが本当に本当に多かった。
“雑な扱い”って、抽象的かつ主観的な表現だから伝わりにくいかもしれないけど、
要するに、他人と比べて自分との態度に差があったり、いい加減で配慮に欠けている扱いのこと。
今まで人と大して関わってこなかったから大人になりきれていない部分があるのは確か。
でも、それが今になって許せなくなっている。
だから、雑な扱いをしてくる人を自分の周りには置きたくないんだ。
過去のことも含めて、一度でも嫌な気持ちにさせてきた人とは距離を置いている。
その人を思い出すたびに嫌な記憶も蘇ってまた同じ気持ちにさせられるから。
*
基本的に自分にとって害のない無関係な人間なんてどうでも良い。
人のことを言う割に、私も他人のことを雑に扱ってきた反省がある。
人の情けを無下にして生きていた時、
自分が本当に助けてほしかったのに人が散ってしまったことがあるから。
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“人に雑に扱われた!”と勝手に感じているのは結局は独りよがりなんだろうな。
陰キャ&コミュ障でも無理やりぼっちに慣れる方法
集団の中でのぼっちが辛い人向けに提案します!
大学の時もほぼ一人行動だったけど、ぼっちで辛くはなかったです(むしろ楽しんでいたほう)。
私は現在進行形で職場では浮いているし、基本的にぼっちです。
フリーターだし独身だし友達いないし・・・もう無敵ぼっち!
ぼっち慣れはしているよ。
1人で過ごしやすい場所を見つける
私は高校まではぼっちが辛かったけど、大学以降はぼっちが辛くなくなった。
というか、大学に入る前に1年間浪人しているんだけど・・・その時に好き勝手に生きていたおかげかも?
元々自分の頭で考えようとしない、型通りのことしかできない人間で、
自分の心ゆくままに行動するのが苦手だったから、
この期間に好き勝手に出来たのはむしろ良かったかもしれない(でも今では黒歴史の一部だけどね)。
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私が通っていた大学は2つキャンパスがあって2年間はどちらも行き来していた。
その内1つは山の上にあったから、自然以外に周りには何もなかった。
山から下りたとしても、住宅街ばかりで最寄り駅まではバスで5分ほどかかるし、
駅周辺でさえコンビニが一つしかないような所だ。
カリキュラムの都合上、授業と授業の間が空くことがけっこうあった。
だから時間つぶしに食堂で過ごす人がほとんどだったけど、
人混みが苦手な私は誰も寄り付かなさそうな屋上で過ごすことが多かった。
誰も来なかったし、風通りも良くて、暑い日以外はとても快適だった。
たまに誰も使っていない300人くらい収容できそうな教室を独り占めしたりしていた時もあったし、
数少ない4人席の丸テーブルを1人で使うこともあったよ。
そこがなぜか開放的で居心地が良かったんだ。
一人で使う時は椅子を他のテーブルに渡しておくと堂々と使える。
一人で過ごすことを何とも思わなかった。
今思い返してみても、あの時の一人の時間は有意義だった。
それでもほとんどの人はグループで固まっていていたけど、もちろん独りでいる人も何人か見かけたよ。
大学は本当に色んな人がいるから、高校までの狭い価値観は通用しないし、
いつまでも一人で行動できない人のほうが恥ずかしいと気づくよ。
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ちなみに、大学院に通っていた時は午後の講義までの数時間を漫画喫茶、ネットカフェ、カラオケ屋で過ごすことが多かった。
大学院の中で落ち着く場所がなかったから、外で探すしかなかった。
ぼっちであることをわりきる
これを言うと、昔、母親にキレられたことがあるんだけど、
私は友達が欲しいとか、誰かと話したいとか一度も思ったことがない。
だから友達ができないのもある。
もし“独りが嫌だから誰かと一緒にいたい”なら、基本的にそういう人はぼっちにはならないはず。
誰かと一緒に居ようと必死になるだろうから。
“何が何でも欲しい”と思うものには躊躇うことなく、人はまっすぐに行動できると思うのよ。
今、ぼっちの人は実はそれほど他人を求めていないのかもしれない。
独りでいることに対して実は何とも思っていないんじゃないかな?
“一人の状況”に対して他人にどう思われているのかが気になるだけなんじゃない?
周りから取り残された気分に自分が勝手になっているのかもしれないよ。
それはもう自分の捉え方次第で変わるはずだ。
今一度、自分がぼっちである理由を考えてみて。
独りの時間は贅沢だと捉える
他人に自分の貴重な時間を捧げたいですか?
たまには人に振り回されるのも良いかもしれない。
でも、他人によって奪われた自分の時間は一生戻ってこない。
自分の時間を独り占めできるのは本当に贅沢なことだ。
特に子育てや介護をしている人は自分の時間なんてないに等しい。
特に誰かとの恋愛なんて時間以外にお金も心も浪費するし、
終着点があるとは限らないし、むしろ通過点なのかもしれない。
その点、ぼっちの独身は時間が有り余っている。
独りの時間を頑張って作っている家族持ちが多い中、独身ぼっちはかなり恵まれているよ。
ぼっちであることを嘆く前に、どうやって独りの時間を充実させようかの計画を立てたほうが時間の有効活用だと思う。
1人でも全力で楽しめる人は人類最強だ!
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私はずっと独りだけど、心底楽しめることが意外と少なくてちょっと困っている(汗。
一人でもワイワイはしゃげる人間になることが今の目標かな!
とにかくひとり時間を十分満喫できる人になりたい。
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“ぼっちのメリット”を十分に理解して、
ぼっちであることに感謝して生きてみたらどうだろうか。
ひねくれぼっちにはならない
私はぼっちのままならぼっちでいれば?と思う。
必要でもないし、欲しくもなければ無理して友人を作らなくていい。
自ら進んでぼっちになる人もいれば、中にはぼっちでいるしかない人もいると思う。
今の世の中どこかのコミュニティで繋がりを求めることも簡単にできるから、
正真正銘のぼっち自体は少なそうだけどね。
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基本的に他人にとって害のあるぼっちはいないはず。
ぼっちの人に興味がある人はまずいないだろうしね。
私がぼっちになる上で気をつけていることは、
ぼっちであることをひねくれないこと。
どうせ友達なんてできないし・・・と愚痴るぼっちなんてめちゃくちゃダサいから。
そんなんだから独りなんだよって言われても仕方ないよねっ。
ぼっちは潔くぼっちであることを素直に受け入れよっか。
独り“ぼっち”であることを活かす
先述したように、ぼっちにはたくさん時間がある。
その時間の使い方次第でぼっちは最強になれるんだ。
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私はブログを書くことが趣味の一つでもある。
これを書いている時はいつも一人で、
1記事あたり数千字以上の文章を書いているけど、
この作業はかなり集中力が必要だ。
この集中力は一人の時でないと絶対に生まれない。
ぼっちは決して“孤独”ではない
これは強がっているわけじゃない。
集団の中で過ごしているから孤独を感じるのだ。
集団を意識しなければ、孤独にはならないはず。
そもそも、“孤独を感じる”とは誰もが持っている感情の一つのように思う。
ぼっち限定のものじゃないよ。
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それに人は適応能力が高い生き物なんだから、
最初は孤独に耐えていても、いつかは慣れくる。
実際に独りになってみると、一人が1番楽だと感じるかもしれないよ。
ぼっち万歳!
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ではでは。
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