私は小学4年生の時に
中学受験専門の塾に通い始めてから“良くも悪くも”人生が変わった。
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それまでは学校の成績表が“がんばりましょう”の評価しかもらえないような子供だった。
今思い返しても、可哀そうなくらい頭が悪かった。
人に“バカ、バカ”ほざいていたけど、自分が1番馬鹿だったよ。
その上、学校も嫌いで馴染めなかったから、
あの頃はどうやって生きていたんだか謎すぎる。
高望みだろうが、
もっと人生を戦略的に生きていける野心的な子供であって欲しかった。
もし塾に通わなかったら、一生馬鹿なままだったと思う。
今よりもずっと出来の悪い人間になっていただろうな。
それだけは断言できる。
塾に通わせてくれた親にはとても感謝しています。
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けれども、中学受験の志望校は親に任せるべきではなかったとめちゃくちゃ後悔している。
その理由を順番に話していこう。
中学受験専門の塾を通い始めたきっかけ
私には姉がいる。
姉の周りには中学受験を目指していた友達が多く、影響を受けたようだった。
姉は妹の私から見ても頭が良くて、たくさん本を読む子供だった(おまけに自然と速読ができる)。
その姉が塾に通いたいと言い始めたのがきっかけだった。
このままでは自分の頭が悪くなる気がして不安になったからだそうだ(それに気づいただけでもかなり賢いよな?)
私達姉妹は揃って家でぐうたら過ごすことも多かったし、
1日中テレビを見ているような生活を送っていて、親も呆れるほどだった。
そのせいもあってか、姉が塾に通いたいと言った時、
親は反対せず、すんなり塾の体験授業を受ける手配をとってくれた。
そして、姉の言葉に焦った私もなんとなく塾に通い始めることになった。
通うことになった塾は姉の友達が以前通っていたことのある塾で、
体験授業を受けるまでは中学受験専門の塾だと一切知らなかった。
入ってしまったからには仕方ない・・・と、流れで中学受験をする羽目になったのだ。
中学受験の進路を親に任せてはいけない
一貫して伝えたいことは、タイトル通り。
中学受験したい意志は自分の意志?
中学受験の志望校は自分で選ぼう。
自分の進路は自分で責任を持とう。
そうしないと、親の言いなりの人生を歩まされるよ?
流れで決まった中学受験でも親が決めた人生を歩むつもり?
まず、中学受験に限らず、
大学受験でも就活でも親の意見を軸に考えて動いてはいけない。
“参考程度”に留めておくのがベスト。聞き流して全然OK!
当たり前だけど、実際に受験するのも合格した学校に通うのも、
親ではなく、自分だから。
これから中学受験を控えている子達はそれをよく理解してほしい。
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私は親の意見を聞きすぎるというか、元々自分の意見がなかった。
自分の受験のはずなのに、
親に任せておけば、周囲の言うことを聞いておけば大丈夫だと無責任に考えていた。
何度も言うが、本当にダメダメな子だった。
結局、第一志望は叔母の勧めで決めた中高一貫校の女子校だった。
私が通った女子校はこんなところ(↓)。
もちろん、学校見学にも何度か足を運んだ。
実際に学校の雰囲気が良くて最終的には自分で決めたわけだが、
もっと色んな学校を知っておいても良かったんじゃないかと思う。
人に勧めてもらった学校しか見学に行っていなかった。
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自分のレベル(偏差値)にあった学校以外にも、
それ以上の学校も見て、受験に対するモチベーションを上げておけば良かった。
流れで決まった中学受験でも、
その程度の気持ちでしか臨めなかったのが最大の後悔かな。
もっともっと行動できたはずなのに・・・と今では思う。
この時点で他の人達よりも人生のスタートダッシュが遅かったようだ。
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小学4年生の私がいきなり決まった中学受験に対して、
行きたい学校を率先して1人で決められるほどの心境ではなかったのもあるが、
後々友達になって同じく中学受験をした子はしっかりと自分の意志で学校を選んでいた。
その学校に決めた理由は、“制服が可愛いかったから”らしい。
私はそれが理由でも十分だと思う。
自分で選んで決めたことに意味があるから!
それに6年間同じ制服を着るからけっこう大事だよ。
自称教育熱心の親は信用できない
私の親は自称“教育熱心”らしい・・・。
“教育熱心”といっても、
親自体は中学受験を経験していないし、正直学歴も良いとは言えない。
その反動で子供の教育に熱心になる親も少なくはないと思うが・・・。
これを本人が口にするたびに、私の中での違和感が膨らんでいった。
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確かに高い塾代を払ってくれているし、塾のお迎えにも来てくれる。
志望校も色んな人に相談した上で、一緒になって決めてくれた。
だけど、他の塾の子達も同じような扱いを受けているわけだから、私にとってはそれが普通だった。
そもそも、塾に入れた親も、ここが中学受験専門の塾だと知らなかった。
私達姉妹同様に、いきなり中学受験を控える子供の親になったわけだ。
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いつか親の話も別の記事で話したい。
私が求める親の理想像が高いのかもしれないが、客観的な意見を聞いてみたい。
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私は親を教育熱心とは一切思っていないし、
むしろ塾に入れた途端に子供の学習に無関心になったように感じた。
塾が何とかしてくれるだろうというのが頭にあるようだった。
元々、学校の宿題も親に教えてもらったことはないし、
学校の成績が悪かった時も怒られた記憶がない。
でも、塾に通い始めて成績が良くなった時から一気に関心が向いた。
テストの結果や成績の順位が良いと、
“わざとらしく大袈裟に”褒めてくれるようになった。
今までは“クラスで何番目に成績が良いか”とか聞いてこなかったくせに、
それも聞いてくるようになったし、明らかに周りの反応を意識するようになった。
これは中学受験を終えた後もずっと続いた。
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元々の私自身を褒めてくれるような親ではなかったけど、
“成績が良い私”は認めてくれるし褒められるようだ、とこの時に気づいた。
実際に私が学校生活をどんな思いで過ごしていたかは知らないと思う。
成績が良いことにしか興味がないのだから。
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何が言いたいかというと、
中学受験を機に子供への扱いや態度を変える親は子供からすれば信用できない。
傍から見れば、親が子供の成績に対して関心をもつことは良い事かもしれないが、
ただ、“成績が上がった”ことに対してしか反応しない親は教育熱心でも何でもない。
良い部分の私しか見てくれない親が嫌だった。
私は徐々に親に対しての不信感が募っていった。
学校見学だけでは実際の学校の様子はわからない
中学受験を終えてからの中学校生活での話になるが、
私立中高一貫校の場合、
中学受験をすれば一般的に高校受験はしなくて済む。
他校を受験しない限り、内部進学という形でそのまま高校に上がれる。
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私は中学2年生の時にはすでに進学を諦めていた。
中学受験をしてまで入った学校なのに、
高校は別の高校に行きたいと漠然に考えていた。
入学当初から学校の雰囲気が嫌いで、校則も厳しくて窮屈で仕方がなかった。
全てにおいて自由を奪われた感じがして、ずっと息が詰まりそうで辛かった。
学校生活の中でどこまでの行動が許容範囲なのかばかり気にしていた。
私と学校の相性が悪かったのだろう。
それに気づいた子達は早々に辞めていった。
中学1年を終えた時点で、おそらく20人近くは退学&転校していたと思う。
これは私立中学校では決して珍しいことではない。
学校の校風や雰囲気に馴染めるかは、実際に入学してからでないとわからない。
できれば身近に志望校に通っている生徒がいれば、
その子に学校のことを聞いてみると良い。
無理そうなら、放課後の生徒の様子を観察してみるとか。
私が住んでいる最寄り駅にはその学校の生徒が多いので、
今でもたまに見かけるが、顔に覇気がない(汗。
抑圧されて生きている感じ。
入学前に知っとけば良かった。
最近、学校の口コミサイトがあることを知り、
ここの学校を“監獄”と表現している人が居たことに驚いたが、パワーワード&的確な表現すぎて納得した。
中学受験をするも、高校3年で中退
私には中学校を変える勇気はなかったけど、
高校受験をする覚悟もやる気も全然なかった。
その時の私は燃え尽き症候群のようになっていて、勉強に対してのやる気が微塵もなかった。
中1の終わりから徐々に成績が落ちていき、課題やテスト勉強さえしなくなっていた。
中学2年生の時の成績はずっと最下位をウロウロ・・・。
学校に行かない日も数日続いた時もあったし、
ほぼ同時期に校則違反で説教部屋に入れられた時もあった。
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記憶では、成績が低迷していた時に親から怒られたことはなかったように思う。
また無関心に戻っただけ。
この頃は親の顔色を伺う日々を送っていた。
何度も学校を辞めたいと話したが、反対された(当たり前だが)。
その度に、クラスで1位(か上位3位以内だったかな?)の成績を取れば、高校受験をしても良いと説得された。
やる気の出ない状態での無謀な約束。
その時に絶対に高校受験させる気がないんだなと思ったよ。
どのくらいの覚悟が出来ているか試したかったのだろう。
すぐに行動できる子は行動している。
が、私はその真逆だった。
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ようやく私の成績が元に戻って、
クラスで上位3位以内に入った時は中学3年の秋頃だったので、
エンジンがかかるのに時間がかかってしまい、既に手遅れだった。
諦めるしかなかった。
今だから言えるが、学校を辞めたいと感じたことは間違っていなかった。
それは今後の展開を知った上での感想だけどね。
結果的に、高校3年の6月に高校を中退することになった。
あと半年耐え抜けば卒業できたはずなのにもったいない!と思う人もいるはず。
なぜ高校を中退したかは(↓)を読むとわかります。
中学受験をした子達の最終ゴールは大学受験だ。
大学受験のための中学受験なのだ。
それなのにここまで来て退学してしまったのは中学受験に失敗したとも言える。
中学受験はやって良かった
中学受験には実質失敗したかもしれないが、中学受験をしたことに後悔はない。
むしろ、やって良かったと思っている。
その理由は、私が行くはずだった地元の中学校はあまり評判が良くなかった。
実際に中学校見学で授業の様子を見たが、態度の悪い生徒が目立っていた。
授業中に教室をウロウロ歩き回って、集中力がないのか雑談しまくり。
授業をしている先生の声よりも、雑談している生徒の声のほうがうるさかった。
私の小学校以外にも、他校の小学校も同時に見学していて、
生徒以外にも引率の先生がいるにもかかわらずにこの態度とは・・・無理だと思った。
こんなところに行くくらいなら、中学受験をしたほうが絶対に良いと自分に誓った。
他人に影響されないなら、どこの学校に行こうが関係ない。
が、私はこんな中学校は御免だった。
勉強よりも大切なことを親や学校は教えてくれない
中学2年以降にも、“学校を辞めるかもしれない”と思った瞬間が一度あった。
それは高校2年のクラス替えの時。
何か嫌な出来事があったわけではなくて、完全なる直感だ。
昔から悪い予感だけは当たりやすいほうだ。
まさかそれが実現するとは思いもよらなかったけれど。
直感は当てにならないというが、
もしかしたら私の中で埋もれていた心の声だったのかもしれない。
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親の反対を押し切って高校受験をすれば良かったかと言うと、
それは絶対に違う。
あの状態で受けていたら、間違いなく失敗に終わっていただろうし、
今の自分よりももっと路頭に迷う人生を送ることになっていたと思う。
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何か面倒事が起こると、それを嫌がる空気を親や周囲の人間は醸し出す。
その空気に毒されないようにありたかった。
中学受験をしたにもかかわらず、高校受験をしたいと伝えた時もそうだが、
私はこの空気感を高校中退した時や浪人時代に存分に味わった。
自分の勝手で辞めたのだから応援はしないし、
期待もしないという周囲の冷たい空気感で余計に心が荒んでいった。
口に出している言葉と醸し出している空気のギャップがありすぎて、
家族全員の顔色を気にする日々を送っていた。
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罪を犯したわけでもないのに、
大多数が進むべく道から外れてしまった人間には価値がないのだろうか?
目も当てられないのだろうか?
それなら最初から期待されていない人間のほうがむしろ良かった。
そのほうが見捨てられた時のダメージが極少ない。
私自身が親の注目を集める勉強のやり方をしていたせいかもしれないが。
期待せずに、信じて見守っていて欲しかった。
親の思い描いた子供の人生から逸れてしまっていても。
そんな被害者意識のような気持ちが芽生えてしまうのも、
私が親の言いなりに生きてきた結果なんだと気がしてならない。
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親や周りが決めた進路や志望校を選ぶ子供には何かしらの事情もあるだろう。
それは他人がごちゃごちゃ口を挟む問題ではない。
ただし、何においても自分自身の気持ちや考えに無関心であってはいけない。
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今やっていることに対して些細な疑問や感情が出て来た時には、
無視しないで掘り下げて考えることが大事だ。
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親や先生、周囲の人の反応に敏感になることはある意味悪影響でしかない。
必ずしも彼らは正しい事を教えているとは限らない。
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進学校の勉強量は凄まじいから、自分の心の声(本音)に注目する暇もないし、
課題やテスト勉強に追われて忙しい毎日を送っているだろうと思う。
中学受験を控えている小学生達もおそらく似たような状況のはず。
目標に向けて無我夢中で奮闘するのは良きだけど、
時々は自分を見つめ直してみてほしい。
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自分の気持ちに正直になれずにいた期間が長いほど
その時の反動がいずれ人生のどこかのタイミングで現れる可能性が高い。
そういった日々は長くは続かないと気づいてほしい。
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私も中2の時点で学校を辞めたかったなら、
さっさと受験したい高校を決めてそれに向けて勉強しておけば良かったはずだ。
気力が尽きていた当時の自分には考えが及ばなかったが、
状況に流されるだけでは一向に解決しない。
今だから何でも反省して後悔を述べられるけど、当時は本当に馬鹿で馬鹿だった。
自己解決能力があまりにも低かった。
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私は当時から変わらず不器用な人間で、
基本的に無関心だけど、夢中になればそのことにしか力を注げないタイプ。
調べてもらったことはないが、多分何かしらの障害が私にはあると思う。
小学校の時から学校は勉強をしに行くためだけの場所だと思っていたから、
友達もあまり出来なかったし、勉強以外から何も学ぼうとしなかった。
自分には何かが欠けている気がしてならないが、
高校を中退してから、
勉強が全てではないことに気づいた。
学生のうちに勉強のコツや習慣を身につけておくことは今後のためになるが、
学校の成績は学校でしか通用しないし、一生ものではない。
テストや模試で高得点をとったとしても、人生の中での一瞬の栄光に過ぎない。
そんなわかりきったことを在学中は全く気づかなかった。
ただただ盲目に勉強していただけだった。
勉強は目的を叶えるためのツールでしかない。
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“学校の勉強”から離れてからは、
人との関わりの中から学ぶことのほうが圧倒的に多いことを知った。
長い間無関心でいたことを勿体なく感じた。
それに気づけただけでも、自分の中では大きな成長に繋がったように思う。
*
ではでは。
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